2014年2月28日金曜日

ブログ"lessorの日記"生きづらさを「程度の問題」として捉えること

生きづらさを「程度の問題」として捉えること

http://d.hatena.ne.jp/lessor/touch/20140222/1393011136

色々と考えさせられる記事でした。

>どこからどこまでが個人の「考え方」で解決できるような問題ではないのかを、正しく啓発していくためには、「自分の力」で生きづらさが解決されていったように見える過程を丁寧に観察したい。

歳を取るにつれて、吃音の悩みが小さくなる人は多いと思います。
他人や過去の自分の吃音の過去の悩みに対しても、「そんなに悩まなくても良いのに(良かったのに)」
と思うこともあります。

自分の考え方にはどのような変化があったのか。
なぜ、そのように考えるようになったのか。
それは、他の人にも起こりえる変化であるのか。

何か出来事があって、前向きに考えられるようになった。
「前向きに考えたら良い」そんな、結果だけ伝えても相手には伝わりません。

アドバイスを求められた際には、
自分の体験から得られた結果だけじゃなくて、
寧ろ考えが変わった出来事を伝えることも大切だと思います。

もちろん、同じ悩みを持つ人たちの集まりのセルフヘルプグループは、「言いっぱなし、聞きっぱなし」を大切にする必要があると思います。

これについては、また機会を作って書きたいと思います。

2014年2月26日水曜日

好きな服を着てワクワクする!

人は好きな服を着るだけでワクワクしたりします。
私は紺のスーツが好きで、着てるだけで少しワクワクします。

落ち込んでいる人や、生きづらさを感じている人も、好きな服を着て少しでも気分を変えることが出来るんじゃないかと思います。

言友会の例会にパーソナルスタイリストの方やカラーアナリストの方を呼んで、(簡単にはなりますが)その人にはどんな服が似合うのか、どんな色が似合うのかなど、アドバイスをしてもらうのも面白そうです。

新しい自分を見つけるきっかけにもなれるかもしれません。

私自身がファッションを楽しむためにも、パーソナルカラー検定を取ってみようかなとも思案中です。



2014年2月25日火曜日

ハンフィトンポストで吃音が取り上げられました。

面接官は、吃音者を「コミュニケーション能力不足」と勘違いしてはいけない

http://www.huffingtonpost.jp/satetsu-takeda/stutter-communication_b_4836309.html

吃音がハンフィトンポストに取り上げられました。

北海道の自殺した吃音者を取り上げた、朝日新聞の記事を読み吃音に関心を持った記者の方による記事です。

>「噛む」という笑いがポップに受け取られることは、シリアスに向き合ってきた人をほぐす効能もあるかもしれない(事実、「アメトーーク!」の放送回を見た吃音者からそのようなツイートを見かけた)。しかし、ポップとシリアスは当然、反目し合う可能性も高い。少なくとも企業の採用面接官は、やたらと漠然とした「コミュニケーション能力」という優先順位を高めるのはどうぞご自由にだが、その前に不可抗力でコミュニケーションのスタートがうまくいかない吃音を、正しく理解しておかなければいけない。

的を射ない吃音理解が多い中、吃音のある人の生きにくさを、ある側面からうまく記事にして下さっています。

持って生まれたものは、活かすしかないというのが僕自身の吃音観です。
吃音を、いじって欲しいくらいです。

「吃音を通じて、人生を楽しむ」「悩みである吃音を笑いに変える」との観点で、救われる吃音者が少なからずいると考えています。
しかし、本人の捉え方だけでは、解決しない問題(この記事では就業)があることを端的に示しています。

うまくは言えませんが、吃音を持つ仲間の死が、大きな反響を呼んでいます。吃音の生きづらは、多くの人に伝わるし、伝えなくてはいけません。彼のように、死を選ぶ仲間をもう見たくはありません。一人でも多くの人が声をあげて欲しいと思います。今回の記事のように、その声はきっと伝わるはずです。